人気ブログランキング | 話題のタグを見る

方円流・東京東支部のお茶会・お稽古情報/お稽古場は明治神宮外苑絵画館学園・自由が丘支部長宅・広尾・鎌倉/問合せはhoenryu.east.tokyo@gmail.com まで


by hoenryu
3月28日  シルクロードの日・売茶翁の生涯_b0255824_21061656.jpg

 今日は、1900年(明治33年)にスウェーデンの探検家・地理学者によって、廃虚となっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された日。

 今年度は、昨夏から今年の初めまで開催した明治神宮・絵画館での「煎茶道体験」や、この三月の茶席や茶会などを通して、煎茶道の成り立ちについてお話する機会に度々恵まれました。
これは、煎茶道に励む私にとって、大変嬉しい事でした。
茶道の祖が千利休とすれば、煎茶道の祖は、諸説ありますが、売茶翁(ばいさおう)が挙げられることをお伝えして参りました。


3月28日  シルクロードの日・売茶翁の生涯_b0255824_20572723.jpg

 その売茶翁の生涯について、少し触れておこうと思います。
売茶翁は、佐賀県蓮池町に生まれ、父は領主の鍋島家に仕える御殿医でした。
幼名は月海で、11歳の時に出家し、佐賀の龍津寺の化霖(かりん)禅師の元で禅を学んだとされます。
13歳で、師とともに宇治の黄檗山萬福寺を訪れ、師の師であった独湛(どくたん)禅師から偈を与えられました。
偈とは、詩句の形式をとった経分です。
これは、月海が年少であっても異才のあることを、独湛が見抜いた為であると考えられています。
22歳の時、痢病を患った事で覚悟し、陸奥を始め各地を訪ね修行を積み、苦行に励みました。
その後、龍津寺に戻り、14年間にわたって、再び師の化霖に仕えたとされています。
57歳の時に師の化霖が亡くなったのを機に、突如、龍津寺を法弟に任せ、京都に上洛しました。
61歳で、東山に通仙亭を開き、自ら茶道具を担ぎ、道端に簡素な席を設け、禅道で得た話を客にしながら、お客に煎茶を出し、互いに茶を喫しながら説き、講じました。
その内容を書き留めていたのが、馴染み客でもあった相国寺の大典禅師でした。
「仏弟子の世に居るや、その命の正邪は心に在り。事跡には在らず。そも、袈裟の仏徳を誇って、世人の喜捨を煩わせるのは、私の持する志とは異なっているのだ」と述べ、売茶の生活に入ったとされています。
70歳の時、10年に一度帰郷するという法度によって故国に戻り、自ら高遊外と称しました。
それ以後も、「売茶翁」と呼ばれながら店を開き、1755年(宝暦5年)、81歳になった売茶翁は、突如、売茶業を廃業しました。
「私の死後、世間の俗物の手に渡り辱められたら、お前たちは私を恨むだろう。だから火葬にしよう」と愛用の煎茶道具を焼却し、道具には和心が生きているという文章を残しました。
高齢も手伝い、死期が近づいたことを感じていたのでしょう。
程無くして、87歳で逝去。 親交の深かった相国寺第113世・大典顯常によって『売茶翁伝』が書かれ、『売茶翁偈語』の巻頭にされています。後世の『近世畸人傳』にも伝が遺され、親交の深かった伊藤若冲により描かれた肖像画も遺されています。
その肖像画の売茶翁は、広い額に少し縮れた白髪を蓄え、痩せた老人の姿で描かれ、他にも池大雅や与謝蕪村など文人画家たちが売茶翁の姿を描いています。
また、宇治の黄檗山萬福寺には、木彫の坐像が遺されています。
 売茶翁が何より訴えたかった真意はどこに有るのかと、お茶を頂く度に考えさせられます。

 写真は、絵画館茶室に掛けられた「清花伴」で、社中で一番年少の20歳の方が活けてくれた桜は、一段と清楚に見えました。


にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ ←クリックお願い致します
ランキングに参加しております
 

# by hoenryu | 2024-03-28 07:00 | 煎茶道 | Comments(0)
3月27日  さくらの日・紅吉野桜・「春の茶会」報告④_b0255824_19272500.jpg

 日本さくらの会が1992年(平成4年)に制定した、今日は「さくらの日」。
日本を代表する花である桜への関心を高め、花と緑の豊かな国土づくりを目的としているそうです。
この日が七十二候の中の「桜始開」の時期にあたる事と、「さくら」と「咲く」がともに「3×9=27」である事から、3月27日に定められたとの事です。

 写真は、「紅吉野桜(陽光桜)」の盆栽です。
「紅吉野桜」は、日本を代表する野生桜の一つで、春に一斉に花を咲かせ、全体をピンク色に染めた、その樹姿はとても可憐で美しいものです。
何より、鮮やかな濃い桃色の花がとても印象的で、盆栽として多く作られ、鑑賞されています。
 

3月27日  さくらの日・紅吉野桜・「春の茶会」報告④_b0255824_19262445.jpg

 先日の増上寺・春の茶会では、まだ桜が咲いておらず、少しでもお客様に桜を感じて頂けたらとの思いで、観世流能楽師である初世・梅若万三郎さんの、桜が描かれたお扇子を飾り、さらに、主菓子を入れた、蒔絵で桜が施された重箱を、最後に五段重ねて飾りました。
この重箱は、百年程前の大正時代の終わりのもので、小さな「紅吉野桜」を一輪差しました。

 この三月は三つの茶席や茶会が続き、私にとって大変目まぐるしい日々でしたが、得たものの多さに感謝しております。
 最初の「学童教室の体験会」では、子供達が日本茶が好きな事を知り、また日本文化に対して興味を持っている事が分かり、大きな収穫でした。
 次の「人形町・濱田家」さんでは、決して笑顔を絶やさない仲居さんの仕事姿に感心致しました。
そして、格式の高い老舗での茶席は、大変身の引き締まる思いでした。
 そして、「増上寺・春の茶会」では、お客様の個性的なお着物姿に、装うことの楽しさを教えて頂きました。
茶道・煎茶道では、必ず半衿や足袋は白色のみで、着物の着付けも遊びが出来ず、帯留めや時計などの小物を付ける事も致しません。
お客様が着物のアレンジを、それぞれに工夫されていらっしゃるお姿がとても素敵で、嬉しく拝見し参考にさせて頂きました。
ご来席賜りましたお客様に、心より御礼申し上げます。

 様々な経験を積ませて頂いた事に感謝し、今後に生かして、さらに良い茶会が出来るよう精進して参ります。


にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ ←クリックお願い致します
ランキングに参加しております



# by hoenryu | 2024-03-27 07:00 | お茶会 | Comments(0)
3月26日   東京国立博物館再開の日・「春の茶会報告」③・東京国立博物館茶会_b0255824_19315582.jpg

今日は、第二次世界大戦中の空襲の激化に伴って、一時休館していた東京国立博物館が再開した日。
陳列品は奈良、福島、岩手などに“疎開”していたそうです。
東京国立博物館は、1872年(明治5年)3月に、文部省博物局が湯島聖堂内に設立した博物館を起源としており、上野公園で開館したのは1882年(明治15年)のことでした。

3月26日   東京国立博物館再開の日・「春の茶会報告」③・東京国立博物館茶会_b0255824_19340893.jpg

 写真は、5月11日の家庭画報・セブンアカデミー主催「東京国立博物館五月茶会」の案内ページです。
今月一日発売の『家庭画報』4月号より引用致しました。

お申し込みは電話の場合、03(6697)0771

あるいは、インターネットよりお願い致します。

https://academy.sekaibunka.com/sebun/asp-webapp/web/WTopPage.do

 また、二枚目の写真は、茶会会場となる「東京国立博物館茶室・九条館」の素晴らしい床の間です。
壁紙は、狩野派の絵師による作品で、建物は京都御所内の九条邸が移築されたものです。


3月26日   東京国立博物館再開の日・「春の茶会報告」③・東京国立博物館茶会_b0255824_19574526.jpg

 先日の着物のやまと「春の茶会」では、「玉煎手前」にて、玉露と煎茶を差し上げました。
結界は、黄檗山萬福寺・玉田の筆で、「春風和揚好光風」で、春の風が和やかな光と風を送ってくれるという、まさに春爛漫を表すのものでした。
茶壷をのせた棚は、唐物の螺鈿、水注は「青華桃式桃花紋蝶摘」で、桃の形の水注に桃の花が描かれ、蓋の摘みの蝶々がとても愛らしいものでした。
茶壺は、朱竹に玉露、錫に煎茶を入れました。
茶量は、日本画家の高橋朋子先生が竹を編むところから作られたもので、編んだものに幾層にも和紙を巻き、その上に藍色を施し、富士の裾野に広がる茶畑をイメージして、金彩で「茶の花」を描いて下さったものです。
煎茶道具の細やかな美しさが、私は大好きで、席の趣向を様々に表現出来る所が、煎茶道の醍醐味と言えましょう。


にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ ←クリックお願い致します
ランキングに参加しております



# by hoenryu | 2024-03-26 07:00 | お茶会 | Comments(0)
3月25日  桜始開という日・「春の茶会」報告②お茶碗_b0255824_20105891.jpg

今日から七十二候は、第11番目の「桜始開(桜はじめてひらく)」に入りました。
今月に入ってから、天気予報と共に、桜の「開花予想日」が発表されましたが、それが少しずつ延期されて、東京では当初の18日予想のはずが、いまだ開花宣言が出ていません。
3月23日に先頭を切って、高知気象台から開花が発表されましたので、これから続々と、全国各地から桜の開花便りが届く事でしょう。
コブシやモクレンなども満開を迎え、いよいよ、待ちに待った本格的な春の到来となりましょう。


3月25日  桜始開という日・「春の茶会」報告②お茶碗_b0255824_20113331.jpg

 写真は、一昨日の「春の茶会」にて、玉露と煎茶を召し上がって頂いたお茶碗です。
開花を心待ちにして、桜のお茶碗が三種(枝垂れ桜、桜、桜と和楽器)でした。
他に、織物の絹糸をイメージした金彩五色のお茶碗、干支の辰年から、龍の落とし子のお茶碗でした。

 この度は、桜尽くしの茶会を、という主催者様のご希望でしたので、味・飾り等、ふんだんに桜を用いたお菓子は、桜の蒔絵が全面に施された五段重箱でお出ししました。
一段に5個ずつお菓子を並べ5箇所にお出しして、最後に五段全てを重ね、その上段に、「紅吉野桜(べによしのさくら)」を一輪入れて長板に飾りました。
懐紙も全て桜尽くしで、まだ桜が咲いておりませんでしたが、増上寺・慈雲閣の中でお花見をして頂きました。
お茶を淹れました急須も桜の柄でした。
お客様が少しでも桜の気分になって頂けましたら嬉しく思います。

 茶会の道具は全く片付いておりませんが、早くも5月11日・東京国立博物館茶会の室礼や、茶道具、お菓子の事で頭の中が溢れております。
お客様に楽しんで頂けるよう、また新たに気持ちを切り替えて、次の茶会に向けて精進したいと思います。


にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ ←クリックお願い致します
ランキングに参加しております



# by hoenryu | 2024-03-25 07:00 | 七十二候 | Comments(0)
3月24日 桜田門外の変・「春の茶会」報告①_b0255824_21272129.jpg

 今日は「桜田門外の変」の日。
安政7年3月3日(新暦1860年3月24日)、大老井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸・薩摩の浪士達によって暗殺される事件が起きました。

 昨日、無事に着物のやまとさん主催の「春の茶会」を終えました。
ご来席下さいましたお客様に、心より御礼申し上げます。
あいにくの天候でしたが、殆どの方がお着物で来て下さり、私には眼福の一日でした。
何より、皆様の趣向を凝らしたお取り合わせに感心しきりでした。
茶道をしておりますと、着物の着方は単調になりがちで、帯留めなども出来ず、決まり切った装いしか出来ませんが、
お客様が色々に工夫され、とてもお洒落にしておられるのを拝見して大変参考になり、私も、茶道以外の所で着物を着る時には、少し自由な着方をしてみたいと思いました。
愛犬をデザインされた柄のお着物や、素敵な色合いの帯や羽織、また、紬の着物なども上手に組み合わせて着ておられ、小物も色々と工夫されて着ていらっしゃるのを拝見して、私まで楽しくなりました。
男性の方の着物姿も凛々しく、風格が漂っておられ、やはり着物は良いものだと感じました。


3月24日 桜田門外の変・「春の茶会」報告①_b0255824_21212766.jpg

 日本人に生まれたのですから、着物、お茶、お菓子などの日本文化に親しみ、大切に後世に伝えて行かれるよう、その翼を担う事が役目であると教えられました。


3月24日 桜田門外の変・「春の茶会」報告①_b0255824_21052298.jpg

 写真は、昨日の茶席の主菓子で、自由が丘「蜂の家」さん製の銘は「春の装い」です。
「振袖」を表した形に、桜の花や花びら、金箔が添えられ、中の小豆餡には、細かく刻んだ桜の茶葉の塩漬けが練り込まれており、これは蜂の家さんにしか作れないと思うほどに手の込んだお菓子でした。
また、ウェルカムティーの抹茶と共に召し上がって頂いたのは、やはり蜂の家さんの桜餡の「まゆ最中」でした。
着物のやまとさんのイベントですので、晴れ着である「振袖」、そして絹糸になる「繭」と、着物に関連したお菓子を用意致しました。
お客様が楽しそうにお写真に収めて下さり、大変嬉しく思いました。

 ご来席下さいましたお客様と、主催の「やまと」さんに、心から御礼申し上げます。
茶席を開く事は、茶道具の準備、片づけなど、大変な労力が必要ですが、昨日はお客様のお陰で疲れも忘れ、楽しい有意義な時間を過ごさせて頂きました。
お優しいお客様に感謝の一日でした。


にほんブログ村 その他趣味ブログ 茶の湯・茶道へ ←クリックお願い致します
ランキングに参加しております


# by hoenryu | 2024-03-24 07:00 | 煎茶道 | Comments(0)