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by hoenryu
10月27日 読書週間・「禅・禅語とは」_b0255824_19162194.jpg

今日から二週間は「読書週間」に入り、初日の今日は、「言語力」を育てるための日とされているそうです。
(写真は、「松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)」
黄檗三筆の一人である木庵の筆です)

毎日、「禅語」を一つずつ書いてきたブログも半年近くになりました。
初心に戻って、今日は「禅と禅語」について。
「禅」とは、精神を統一して真理を追及するという意味のサンスクリット語を音訳した「禅那」の略で、坐禅修行をする禅宗を指します。
南インド出身で中国に渡った達磨大師を始祖として、坐禅が基本的な修行形態とされています。
禅宗が本格的に日本に伝わったのは、鎌倉から室町時代にかけてと言われており、栄西が伝えた臨済宗、江戸時代に隠元が伝えた黄檗宗、また、ひたすら坐禅に打ち込む道元が伝えた曹洞宗が加わり、現在、日本では24の流派の禅宗が根づいているそうです。
発祥である中国では、明治時代以降に衰退し、今では禅は、日本ならではのものとなっています。
修行や思想はもとより、水墨画、書、作庭など、禅に基づいた文化芸術が盛んになり、やがて茶道、煎茶道への繋がりを強くしました。

「禅語」とは、禅宗の僧侶が語ったとされる言葉のこと。
禅の世界観を言葉に表したものとして、古くから親しまれ、とりわけ、煎茶道や茶道と深い関わりを持って来ました。
禅の精神を究明するために用いられる問題(公案)から引用したものや、禅僧が悟りを言葉に表したもの、中国の古い漢詩から引用されたものなど、今をより良く生きる為の助言と言えましょう。
美しい情景を詠んだ禅語は、四季の趣が豊かな日本では、私達の心に添い、深く染み入るのではないでしょうか


10月27日 読書週間・「禅・禅語とは」_b0255824_19160278.jpg

キリスト教の中で育ち、「神様はいつも私達を守り愛して下さり、私達も神を愛し敬い、隣人を愛すること」と、いつも学校で教えられてきた私ですが、自分自身の存在の真実を探す為に修行するという禅宗にも、大変導かれる事が多く、今では、禅の教えを常に心に留めておきたいと考えるようになりました。
今日もその教えに従い、今この時を大切に、思い切り過ごして参りたいと思います


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# by hoenryu | 2021-10-27 07:00 | 禅宗 | Comments(0)
10月26日 原子力の日・「薫習」_b0255824_17524060.jpg

1963年の今日、茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉が、日本で初の原子力発電を行ったそうです。
総選挙が間近ですが、原子力発電の問題を、日本はこれからどのように解決して行くのでしょうか。

今日の禅語は、「薫習(くんじゅう、くんしゅう)」。
「薫習」とは、身体や言葉に現れる善悪の行為や、心に現れる善悪の思想が、起こるに従って、その働きが心に残す影響作用のことを言います。
他の言葉でたとえれば、「移り香」のことで、香りが衣に染み付いて残ることを指します。
「薫」という字には、「徳で人を感化する」という意味があり、禅の教えとしては、「尊敬する人と日頃から接し、自分の意識を高めなさい」と説いているそうです。

以前にも書いたことが有りますが、私達は濃霧の中を歩いていると、知らないうちに衣服が湿気を帯びてしっとりしたり、お香やフレグランスの売場を通ると、その芳しい香りが自分の身に移ったような気持ちになることがあります。
夕食にお肉を焼いたら、すぐに身体中にお肉の臭いが染み付いてしまいます。

勉強や運動は行動習慣ですが、「考え方」も習慣になるのだそうです。
毎日マイナスの事ばかり考えていると、それが習慣となり、その人の雰囲気として定着します。
反対に、良い習慣が身に付いている人、良い気が流れている人について行けば、自ずと良い影響を受けられます。
「優れた人と親しんでいると、自ずと、自分も優れた人になれる」と、よく言われますが、まさに、この事が「薫習」と言えましょう。
お香を焚きますと、いつの間にか、その部屋中が良い香りに包まれるように、人の精神や行いも、心の奥底まで、知らず知らずのうちに大きく影響を及ぼしているのでしょう。
「薫習」とは、どんな人と付き合い、どんな人と親しんで行けば良いのかを迷う時に、尊敬できる人を慕い習うようにと諭している禅語です。
いつも忘れずに心に留めておきたいと思います


10月26日 原子力の日・「薫習」_b0255824_17551702.jpg

写真・上は、昨年の東京国立博物館茶会で飾りました香入れで、八角形に型どられ、白い菊の花が描かれています。
乾燥させた菊の花びらを詰め、掛けておきますと、周りに菊の薫りがほのかに漂います。
写真・下は、長寿を願う菊酒です。
清風与平作の徳利に、薫りが移るよう食用菊の花を添えました。
お酒を注いだ後に花びらをちぎり、数枚浮かべて頂きました。
かすかな菊の薫りは、周囲を清らかにしてくれるようでした


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# by hoenryu | 2021-10-26 07:00 | 煎茶道 | Comments(0)
10月25日 一粒万倍日・「一粒万万倍」_b0255824_20262624.jpg

1951年の今日、日本で初めて民間航空として誕生した日本航空の「もくせい号」が東京ー福岡間に就航したそうです。
そして今日は、一粒の籾(もみ)が何倍にも成長して大きな利益をもたらすと言われる「一粒万倍日」。
仕事始め、開店、種まき、お金を出すことや財布の使い始めに最適の日とされています

今日の禅語は、「一粒万万倍(いちりゅうまんまんばい)」。
慶諸禅師という僧が、お弟子さん達と共に、お米を篩(ふるい)にかける仕事をしていた時の話です。
落ちていた一粒のお米を拾い上げて、言ったそうです。
「施されたお米を捨てるようなことをしてはならない、一粒のお米たりとも無駄にしてはいけない、一粒から百千粒が生じるのだから」と。
僅かなものでも、決して粗末に扱ってはいけないということを戒めたのでしょう

一粒の小さな茶の種が、やがて万倍となり、豊かな茶畑となります。
始まりは、どんなに小さな物事でも、一つ一つ丁寧に育めば、やがては万倍となり、必ず成果となるのです。

禅語としては、どんなに僅かであっても、道を求める心が少しでも有るのなら、それを一心に磨けば素晴らしい実が結ばれることを示しています。
そして、一つの善行が多くの良い結果をもたらすことを説いている禅語と言えましょう


10月25日 一粒万倍日・「一粒万万倍」_b0255824_20264613.jpg

写真上は、今年4月~6月に、東京・サントリー美術館で展示された本阿弥光悦の赤楽茶碗で、銘は「熟柿(じゅくし)」、江戸時代・17
世紀の作品です。
淡い朱色に覆われた胴は豊かに張って、胴の膨らみの中に小さく低い高台が沈み込んでいます。
高台の脇には茶色い焦げが現れており、まるで熟れた柿の風情を連想させるような素晴らしいお茶碗です。
写真下は、オランダ船を描いた重要文化財の「色絵五艘船文独楽形鉢」です


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# by hoenryu | 2021-10-25 07:00 | 重要文化財 | Comments(0)
10月24日  国連デー・「看脚下」_b0255824_21542641.jpg

1945年の今日、国際連合が発足し、
日本は1956年に加入が認められたそうです。
日本国として、しっかりと歩んで行かなければならないことを覚えます

今日の禅語は、碧巌録からの出典で、「看脚下(かんきゃっか)」。
昔、中国の法演という禅僧が、3人の弟子を連れて夜道を帰る時のこと、持っていた灯が強い風で消えてしまったそうです。
足元が真っ暗になってしまい、一同は困り果てました。
その時、法演が弟子に向かって質問しました。
「暗い夜道に必要な灯が消えてしまい、この暗闇の中をどうするか、禅らしく表現してみよ」と。
まず仏鑑という弟子は、「全てが黒一色のこの暗闇は、我々を覆いつくし、まるで大きな鳥が羽を広げているようです」と答えました。
次に仏眼という弟子は、「暗がりの道は、真っ黒な大蛇が横たわっているようです」と続けました。
最後に、圜悟克勤(えんごこくごん)という弟子が、「看脚下」との一言を答えたところ、法演師匠は「その通り」と絶賛したという故事による禅語です。
子供でも誰でも答えられるような単純明快な答えです。
今できる事を即座に行うことが肝要で、つまりは、余計な事は考えずに、まずは、転ばぬよう自分の足元をよく看て歩くこと。
禅的に解釈すれば、自分の足元を看て、自分の生き方を深く考え、反省しなさいと説いているのだそうです。
足元を看るということは、自分の至らなさを知り、未熟である自分に気づき、正しい方向に立て直すことを諭しています

常に自分が立っている位置を知り、自分の足元がどのような状態なのかを見極めること。
そして、今やるべきことに向き合い、しっかりと取り組むことの大切さを説いているのでしょう。
「看る」には、観察し、判断するという意味があります


10月24日  国連デー・「看脚下」_b0255824_21550679.jpg

「看脚下」、いつも忘れずに自分に言い聞かせておきたい禅語と言えましょう。
人生をしっかりと生きる為に、何より重要なことでしょう。
今日も足元をよく看て歩かなければと、身が引き締まる思いが致します

写真上は、「紫人字草(むらさきじんじそう)」という山野草で、
下は、「すみれ岩桐草(がんぎりそう)」(右)と、寄せ植えにした写真です。
「人字草」は小さな2センチ程の花姿ですが、確かに花びらが「人」という文字のように並び、何か不思議なパワーを感じます


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# by hoenryu | 2021-10-24 07:00 | 国際デー | Comments(0)
10月23日  霜始降の日・「楓葉経霜紅」_b0255824_17110384.jpg

今日は二十四節気では「霜降(そうこう)」に入り、七十二候の52候目・「霜始降(霜始めてふる)」という日になりました。
北国では、初めて霜が降りる頃になりました

今日の禅語は、「楓葉経霜紅」(ふうようは しもをへて くれないなり)。
文字通り、楓(かえで、もみじ)の葉は、厳しい霜を経験して初めて真っ赤に染まるとの意味で、霜が降りなければ、私達は美しい紅葉は見られないのでしょう。
朝の気温が一気に冷えることが、紅葉が鮮やかになる条件と、よく聞きます。
ただ、勿論、この句は美しい紅葉の情景を表しているだけではなく、禅宗的には、人生において、様々な苦労を乗り越え、それを耐えしのぐ事によって、一人の人間として、より大きく成長することを説いている禅語です。
季節感溢れる大変美しい句で、心に残ります。
厳しい環境に耐えて、苦労を重ね克服してきた方ほど、人間性が磨かれ、深みが増し、度量の大きな、魅力ある素晴らしい人格の方が多く、尊敬の念を抱くことが度々あります。
自分の身に置き換えても、難関を乗り越えた時には、自信がつき、心が強くなったことを実感致します。
一つ一つの苦難は、確実に成長させてくれるのでしょう。
この言葉は、沢山の苦労や試練を経て成長すること、また修練を重ねて芸事が上達することにも、たとえられる事が多いようです


10月23日  霜始降の日・「楓葉経霜紅」_b0255824_09115932.jpg

私のように未熟な者には、お茶会は大きな山のように思えます。
山を登る為に、自分自身を叱咤激励して、精魂使い果たす思いで挑みますが、越える度にやはり挑戦して良かったと感じます。
「艱難(かんなん)汝を玉にす」という言葉がありますが、困難をやり遂げてこそ、さらに自分を高めることが出来ることを心に留めて、12月の靖国神社茶会に向け精進せねばと思います

紅葉(モミジ)と楓(カエデ)は、カエデ科のカエデ属で、植物上の分類は同じですが、一般的に、葉の見た目で使い分けるようです。
痩せたギザギザしているのが「モミジ」、赤ちゃんの手のように丸みの有るのが「カエデ」と見分けると良いようです

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# by hoenryu | 2021-10-23 07:00 | 禅語 | Comments(0)