1599年の2月28日、織部流茶道の祖であり、安土桃山・江戸時代初期の大名である古田織部が、京都の伏見で茶会を催したことにちなんで制定された、今日は「織部の日」。
この時の茶会で、織部は自分で焼いた茶器を用いて、お客様をもてなしたとされています。
織部が手がけた茶器は珍しく、斬新なもので、後に「織部焼」として、広く愛されるようになった事は言うまでも有りません。
この伏見でのお茶会がどのようなものだったのか、と思いめぐらしてしまいます。
利休七哲の一人で、織田信長、豊臣秀吉に仕え、利休亡き後は諸大名の茶頭を務めた織部のこと、さぞかしや趣のある茶会だった事でしょう。
一昨日の絵画館「煎茶道体験」に来て下さったお客様から、「結界」についてご質問を頂きました。
ほうじ茶の手前座には、一般的な竹の「結界」を置きましたが、煎茶の手前座は同じような物を用いると単調になってしまうと思い、結界の代わりとしてお扇子を立てました。
「結界」とは、元々は仏教用語で、文字通り、結ばれた 界という事で、浄域の線引きを意味する言葉です。
聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ることでした。
神道においては、神社や寺などの境内に意図的に段差を設けたり、日本建築では襖、障子、衝立、縁側などの仕掛けをしたりするのも、広い意味で「結界」という意味合いのようです。
煎茶道では、茶室と水屋の仕切りに暖簾(のれん)を掛けますが、これにより、茶席と水屋という、浄不浄の領域を分けているのです。
また、煎茶道や茶道においての「結界」は、お客様に対して、一段へりくだって、謙虚な気持ちを示していると言えましょう。
お扇子で挨拶するのも同様で、扇子を前に置いてお辞儀をすることで、敬意を払うべき相手や、大切なお道具との間に境界線を引いて『結界』を作り、一歩へりくだって挨拶をしていると言えましょう。
扇子を置いての挨拶は 「あなた様」と「私」との間に神聖な境界を設ける、という意味なのです。
絵画館で「結界」の代わりに飾った扇子は、黄檗山萬福寺管長であった玉田老師の「萬年寿」でした。
写真は一般的な「結界」で「無事是貴人」と書かれたもので、一番上の写真は、やはり以前に、「結界」の変わりに用いた事のある唐物の「硯屏」です。
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